野宮さんちの今日のごはん

ごはんを記録しています。たまにごはんじゃないことを書きます。

人生ゲーム分岐ルート考察

 この記事は@Syarlathotep氏主催の自分のことを好きなだけ話す Advent Calendar 2019の19日目です。

前回も同様のアドベントカレンダーに参加させていただきました。その時の記事はこちらです。

nomya.hatenadiary.jp

 昨年もガッツリ自分語りしようと思っていたのですが、日和って身バレが怖くて案を引っ込め、やや無難風な当記事を投稿した覚えがあります。

 今回はガッツリ自分語りしようと思います。よろしくお願いします。

 みなさんは、絶賛稼働中の最強のクソゲー「人生」において、"分岐点"となる出来事はありましたか?私は割とあります。

 今回は、若輩者ではありますが、私がこれまでに遭遇したものを振り返ってみたいと思います。

はじめに

私は福島県出身で、現在はクソ田舎で引きこもり系大学生をやっています。詳細は後ほど書きますが、毎日東京への憧れを燃やして生きています。

 

1.東日本大震災

 考えられる限り始めの大きな分岐点は、2011年の東日本大震災でした。福島県の沿岸地域に住んでいた当時中学生の私は、友達と遊んでいたモンハンを中止し、避難生活を余儀なくされました。公民館とか体育館とかを転々とし、一時期は東京都内に住んでいたこともありました。その後、1年ほどで福島県に戻りましたが。

 震災からしばらく経ってから、時々「あの日、もし地震が起きていなかったら」と考えるようになりました。もしそうであったら、あんまり人見知りがひどくならず、おそらく地元の高校に進学して、都会の憧れもあまり抱かず、適当に農家でも継いで生きてたのかなぁ、と思います。

 尤も、自然災害はどうにもならないので、分岐というより強制イベントの類なのですが、あまりに急に変わってしまったものですから、こういった想像を繰り返してしまうのでしょう。震災から三日くらいでそれ以前の記憶が急激に曖昧に美化されていく感覚があったので、本当にきれいな空想でしかないんだと思います。

2.1年後

 次の転機は、震災の避難生活として、関東の中学校に転校し、ある程度落ち着いた生活をしていた時のことです。当時、祖父母や仕事のある父を福島に残し、兄と母で生活していましたが、母からこの後どうしたいか決めてほしいと頼まれました。関東に残って転校した学校に通い続けるか、福島に戻って元の学校が避難した場所で生活するか、二択を強いられました。

 その選択によってどれほど違う未来が決まってしまうのか、クルクルパーでも理解できました。鼻垂れ小僧が決めるにはあまりにも重い二択でした。結局、福島県に戻ることを決めました。

 この時、もし留まることを選んでいたら、本当に想像できない未来があったかもしれません。福島県に戻ってからは穏やかな雰囲気の高校に入学したのですが、避難先はちょっとヤンキー味がある感じの風土だったので、通う高校の風紀も結構違っていただろうし、その後の進路や人格形成も別物になったのだろうと思います。

3.大学受験

 次の転機はズバリ大学受験です。その間に別に転機となるようなことも無く、高校受験なんて遠くても県内に留まるレベルですし、わざわざ良い高校を選ぶような知能や運動のスキルは持ち合わせていなかったので。オタク、趣味以外何も取り柄がない。

 考えていた進路は、とりあえず理系のアレ学部でよしなに…というレベルでした。「試行回数が増えるから」と先生から地方大学の推薦入試を勧められ、ざっくり練習とかして試験に臨みました。結果は合格で、特別な理由がない限り拒否できないものでした。これは罠で、なんとしても学生を増やしたいクソ田舎アホバカ大学が適当な学生を誘拐するためのブービートラップだったのです。かくして、今後4年間の充実した生活を生贄に、大学受験という重圧からの解放などという、でかすぎる代償に対して余りにもちっぽけな褒美を掴むこととなりました。当然、この時は大学4年間を僻地に幽閉されることがどれほど苦しいことか理解できていませんでした。なんとかなるさ、などと持ち前の楽観主義を振りかざしていました。監獄大学にはオープンキャンパスにも行ったのですが、諸々の関係者は耳ざわりの良いことしか言っていませんでした。

 この選択は、人生でもかなりの失敗だったと思います。

 もしこの時、推薦入試を受けることを断って勉強に集中していたならば、今より少しは(偏差値的な意味で)賢かっただろうし、既に射程圏内にあった東京の大学に進学することも出来ただろうと思います。大学に進学してからは一人暮らしになって家族に気を取られずに音楽を聴けるので音楽にハマっていったのですが、もし東京に住んでいたら、年2回高い金を払って新幹線に乗って音楽を買いに行かなくて済んだだろうし、気になるアーティストのクラブイベントとかイラストレーターの個展とかも気軽に行けたたのでしょう。

 もちろん、陸の孤島で育んだ友情などもなくはないし、それはかけがえのないものだとは思いますが、それはどこにいてもいずれは同等のものが手に入ると思いますし、元々一人で生きることに苦痛を感じない人なので、そこまで重要だとも思っていません。それよりも、東京に住んでいないことによる損失をひしひしと感じてしまい、悶々とすることが多くなってしまいました。インターネットに張り付くオタクをやっているから、特にそう感じるんだと思います。

むすびに

 今回はガッツリ自分語りしました。特定されたらツイ垢に鍵かけます。元々ガバガバだからバレてそうだけど。

 歴史にifは存在しないので、今回のお話は全てデタラメに過ぎません。そしてリーディングシュタイナーではないので世界線を移動することはできないし、理想の世界線がどこなのかも分かりません。

 皆さんも、人生の分岐とか想像して遊んでみてください。多分あんまり面白くないですよ。

以上